Press Turn

ジャーナリズム論的あるいは私生活的な転回について

strawberry

イチゴのタルト

 

下田へ日帰りして摘んできた完熟イチゴ2パック分使った贅沢なタルト。

やわらかな甘みとほんのりと残る酸味がアクセント。

これだけ贅沢にイチゴを使ったケーキ、お店ではまず食べらられない。

 

 

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◼︎紙面の収穫は津田大介さんコラム

「ネットワーク型ジャーナリズム」とかの言葉をつかってないけど、そういう概念としか言いようのないジャーナリズムの可能性を肯定的に書いている。こういう視点で議論できる人はすくない。

結果的?に実践してしまった観のある朝日の記者だけど、そこことには気づいていないようにも思える、し、社内的にもそういう評価がされているとも思えない。

 

digital.asahi.com

 

 

 

 

 

1月15日

佐藤卓己 メディアと政治(毎日、14日)

月1回、木曜日に掲載。毎日の中でも必読。

 

紹介されているのは、あらためて、ぞっとするデータ。

18歳選挙権とかいって若者をターゲットにするのもいいけれど、そして、軽減税率とか言ってる場合じゃない、という話。

 

  • 新たに有権者となる18、19歳は240万人。有権者全体の2%にすぎない。
  • 新聞を「毎日読む」のは全世代平均で52.8%。70代以上が81.1%。
  • それが18〜19歳では4.3%で、平均8.9分、ほぼ自宅で読み、満足度が高い記事は「ラテ欄」。
  • この世代の電子新聞の利用は4.3%で50代の5.3%よりも低い。高齢者が中心読者の新聞が展望する未来はせいぜい20年東京オリンピックあらりだとう。他方、今の18、19歳なら50年でも50代前半の働き盛りだ。彼らが主導する50年に照準を合わせた新聞を作れるかどうか…

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1月12日

agenda setting

安倍のパート25万円発言はネットで話題になって数日遅れ。

蓮池透氏の著書をうけた北朝鮮とのかかわりについてもネットでは話題だけど、主要メディア(この表現もどうなのか?オールドメディアというべきか)はほとんど出てない。産経には出てるけど。

 

新聞やテレビが報道することで議題が設定される、というagenda setting機能がネットでの議論が先行するようになって完全にズレてきている。そのことがどんどんはっきりしてきて、ズレどころかネットで盛んに議論していることを、何かのフックを見つけてオールドメディアが後追いする、という構造になってる(しかも、記事の書きぶりも書いておきました的な、悪く言うとアリバイ的なものが多いようにも思える)。

 

自分たちのプレゼンスについて、もっと自覚したほうがいいかもしれないんじゃないかな、という気も。

 

 

1月10日 Hasebe super dry

Prof.Hasebe 

日曜日付けは総合面やら経済面やらコラムばっかり。それらが束になってもかなわない博覧強記と切れ味。自信をもって議論できるだけのゆるぎない自己。

第三者委員会の議論のなかで、セクションで蛸壺化しているという話が出た時に、「だったらどうしてものすごい専門記者がいなんですか」と古市さんが言ってたのを思い出した。

コラムも社説も結局、自分の論、subjectivityとでもいったものがないのかな。

それとエビデンスかな。

 

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1月7日

◼︎夕刊

6日付夕刊=北朝鮮「水爆実験」

7日付朝刊=北朝鮮が核実験

ほとんど同じ。かつては夕刊で「北朝鮮が水爆実験」とうたったら、翌日付けの朝刊は、時制が進んだ次の段階の見出しになっていた。今はほとんどそのまま1報の見出し。記事はすこし新しい中身が入ってはいるけど、完全に夕刊を受けた形にはしていない。かつては、夕刊に1報があれば、次の朝刊には2報、という風になっていて、見出しもそうなっていた。

今はこのように、1報の要素を残したまま、新しい中身を入れていく「1.5報」というスタイル。もっとも、何が1.5報なのかわかったようでわからないけど。そして見出しは1報スタイル。

夕刊を読んでいる人がいない、という前提で朝刊をつくってる。なので朝刊だけ読んでいる人には違和感はないし、むしろ、1報要素があったほうが親切。一方で夕刊読んで朝刊読んだ人にはものたりないかもしれない。いずれにしろ、最近のトレンド。

 

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1月6、7日

precommitment

旅を続けるオデュッセウスたちは、船乗りを惑わすセイレーンのいる海域に入る。オデュッセウスは船乗りたちの耳を蜜蝋で塞ぎ、自分自身は帆柱にきつく縛り付けさせ、「自分が『縄を解け』といったらよりきつく縛るように」と命じ、海域を抜けることができた。

 

6日の紙面に内田樹さんが出てた。

「一時的な大衆的熱狂で議席を占有した政党が国の根幹に関わる制度や原理を簡単に変えることができないように、憲法があり…」と言ってる。

digital.asahi.com

 

安部首相は夏の参院選で本気で憲法改正を狙いにいく、という見方がが広まっている。国会議員の3分の2の賛成で発議しなきゃいけないので(96条)、参院選でがんばる、と。憲法改正のハードルが高いのは内田が指摘するような憲法の知恵だということになっているが、これは確か、precommitmentとよばれているはずで、憲法を時の政府の一時的な熱狂で変えられないように、あらかじめ憲法制定者が仕組んだ仕掛けである。 

 

平和憲法を制定した時、憲法改正を熟議や合意によってではなく、数と熱狂によって行おうとする人がいつの日か登場するかもしれないと思ったのだろう。アメリカの場合はそこをfounding fathersとロマンティックにいってしまえるのが羨ましいところだが、日本の場合は、そこもmade in occupied japanなのでちょっと複雑な心境になるのかもしれない。が、そのprecommitment が役に立っていることは間違いない。