Press Turn

ジャーナリズム論的あるいは私生活的な転回について

1月2日 紙とデジタルの不思議な関係

休刊日

2日は休刊日。ニュースはテレビとデジタル頼りだけど、デジタルのニュースは少なめ。紙の紙面が発行されない、というだけの理由でデジタル版もニュースが少ない、ということになってよいのかな、と思ったりもする。逆にいうとデジタルが紙媒体のニュースに依存していることがよく分かる。デジタルニュースは「自立」できていないのかもしれない。とはいえ、The Economist紙がやってるespressoというニュースサービスなんかは 「sorry holiday」とかいう画面を出して平気で更新しない。その割り切り方はそれで気持ちいいけど。

Print 

そういうわけでデジタルの話をしようと思ったけど、ちょっと寄り道して販売の話。新聞業界で販売というときは新聞社と新聞販売店の取引とかの関係の総称だと思えばよい。昨年、幸田泉さんという方の書いた「小説新聞販売局」がでて、話題になった。

新聞はいつまでも「インテリが作ってヤクザが売るもの」でいいのか?-『小説 新聞社販売局』幸田泉氏インタビュー (1/3)

 

話題の焦点の一つが「押し紙」。そういう生々しい表現より「残紙」とか「予備紙」とかいうほうがよく耳にする。週刊誌とかいろいろなところで見聞きする限り、どれも3割程度という数字がよく出てくるからだいだいそんなもんなのかもしれない。

販売の前近代性、非合理性という意味では値段のほうがもっと不思議では。新聞の定価は正式には2種類しかない。統合(夕刊のない地域)とセット(朝刊と夕刊両方ある地域)。もっともセットの地域に住んでる人だって夕刊はいらない、という人が多いから朝刊だけっていう風に契約してる人もいる、けれど、この「セット帯に住んでるけど朝刊のみ」という場合の定価は存在しない。販売店がこれくらいでといってだいだい統合帯とかと同じくらいの値段にしてるらしい(知人が朝刊だけとってて3000円くらいっていってた)。再販制度との関係なのかという気もするけど理屈がわからない。定価もはっきりしない商品を売ってるていうのも、どうなんだろう。

昨秋あたりに読んだ週刊誌(新潮だったかな)だと、新聞の販売店への卸値がざっと2200円くらいで、これ以外に一部あたり500円の奨励金を新聞社が販売店に渡す(キックバック)ので、実質の卸値は1700円ほどだという。なので、朝刊だけでもある程度の利益はでるのかもしれないけど。

digital

そして再びデジタルの話。発行部数の多い新聞社は、それだけの販売網を維持しているわけで、デジタルとの関係はデジタルが増えればよいというだけにはならない。その分プリントが減ったら困るから。そいう視点で見ると時、下の表と新聞の卸値はけっこう興味ふかい。

 

      digital        print     both

日経 4200円 4500円 5500円

読売      4000円 +150円(プレミアム)

毎日 3200円 4000円 *(愛読者セットは講読料のみ、+500円でプレミア)

朝日 3800円 4000円 +1000円

 

第一に、上述したプリント版の販売店への卸値を考えると、現在のデジタル版のみの購読料は新聞社の利益がべらぼうに高くなるように設定されているということになる。今の部数がそのままデジタルに移行したらもうかって仕方ない? 逆にいうと、購読者がデジタルに簡単に移行しにくいような価格設定になっている、とも言える。

第二に紙の販売部数が一番多い読売はデジタルのみの会員設定をしていない。一方、紙で苦戦(販売店も見るからに苦しそう)の毎日はデジタルonlyの契約を紙より低い設定にして、デジタルで勝負する姿勢を強めに出している。朝日は「紙も、デジタルも」といっていたそのままに、中途半端。

こういう価格設定から垣間見える経営方針を見ると、デジタルへの移行はダイナミックには進まず、コンテンツのデジタルファーストも、日本の大手新聞社ではなかなか進まないのではないか、進むとすれば毎日なのか、という気がしてくる。

そういった目で休刊日のデジタル版を見比べるとちょっと違うかもしれない。毎日はがんばるのかな、とか。