Press Turn

ジャーナリズム論的あるいは私生活的な転回について

1月1日

元旦社説

こういうのはもうどれだけ意味があるのか、という気もしてきた。だれも読んでないだだろうし、そんなに影響力がある訳でもないし。とはいえ、それぞれが正月にいっておこうという何かが見えてきて、それなりにカラーというものは見えるので1月1日というフックも無意味ではないかも。

毎日はスタンダードなリベラルな民主主義のありかたを再確認しよう、という教科書的な社説(とはいえこういうのが全然ないのも困るか)。EMフォースターの「民主主義に万歳二唱」(two cheers for democracy)を引用してた(岩波文庫のエッセイ集にも入ってたかな)。読売は総論ではなく具体的な政策提言。経済、安保、普天間移転、今年はこれをやれ、と。朝日は、社会の中で流通する言葉の軽さを言いたいのかと思ったけど、導入部が意味不明で実は何が言いたいのよくかわからかった(言葉の軽さをいうなら自分たちジャーナリズムの言葉こそ、じゃないのかな?)。東京は原発と世界の戦争を見つめて、自分たちの頭と身体で考えましょうと、視点の置き方が低いあたりが東京の良さかと思った。

各社とも、そのために自分たちはこうしますから、よろしくね、という挨拶があったほうがいいと思った。

今年の新春なら…polarizationがどんどん進んで議論の場が失われてしまっています。これこそが危機です。民主主義、憲法、戦争、歴史、原発、沖縄、暮らし…課題がたくさんあっても、共通の議論のプラットフォームがどんどん失われてしまっているのです。新聞ジャーナリズムが公共財として存在しつづけることが許されるなら、その議論の広場にならなければなりません。そのための素材を提供していきます、という感じの社説が読みたいかな。