Press Turn

ジャーナリズム論的あるいは私生活的な転回について

ストーリー

毎週これだけは最後まで読む毎日の「ストーリー」(たまに最後まで読み切れないのもあるが…)

今回は素材(特殊メイクの辻さん)が良いせいがあるにしても、筆者はなかなかの筆力。

一面の頭出し部分はもうちょっとだけ短くてよいと思ったけど。

 

https://mainichi.jp/articles/20180318/ddm/001/200/145000c

Free speech under attack

Economist

自由主義的な表現の自由論。

この人たちはこういう立場しかないんだろうな、という気もするけど、ちょっと古いという気もする。それに、(ジェントルだから)差別はしないだろうし、当然のことながら、差別される側になったこともない、パブリックスクール出身者(だろうな)に、言論には言論 で、more speechで戦え、と言われてもねえ、という気がする。

中華街のおかゆ。美味しい。新橋のほうのおやゆは熱かったな。

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鶴見俊輔もしくはフリッパーズギターのCamera full of Kisses

ディスコミュニケーションをあきらかにすることが、より良いコミュニケーションである場合が多い」

鶴見俊輔著作集3、『二人の哲学者』という論文の脚注。

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この論文は、デューイのコミュニケーション論批判だけど、全然古くなくて驚いた。

コミュニケーションはcommunication/dis-communication という二重の性格を持つものとして理解されるべきだ、という視点からcommunicationの成り立つ世界での理性的な対話なりの中で社会を進歩させようとするデューイの議論は「願望」だと(public sphere論をあらかじめ粉砕してる)。

「今日、我々が科学的方法によって知りうる限りでは、人間の価値評価は根本的に多元的なものである。この状態が近い将来において爆発的に変わらぬ限り、ディスコミュニケーションの努める役割は今後も大きいであろうし、理性的説得の方法もデューイが思っているほどの大きな可能性を持たない」

「絶望するのは甘いからだ。絶望は良家の子弟の特権である。この甘い態度がある限り、ぼくたちは、ぼくたちを囲む今日の状況にたいして、効果的であることはできない。この世界に当然あるディスコミュニケーションにたいしても、もっと強くならなければならない。コミュニケーションの皮に隠れたディスコミュニケーションをはっきり見つめ、この質と量を計算しなければならない。「話せばわかる」と言って殺された人は偉いけれど「話せばわかる」と言って殺されたという事実から目をそらす理由にならない」

ディスコミュニケーションは、ぼくたち人間にとって逃れられない状況である。民主化が進もうと、革命を起こそうと、なくならない。ディスコミュニケーションのなかにあって、もっとも有害で、そして、努力次第でなくせる部分を選定して、すこしずつうずめることだ。工程表をつくって、今日の自分の努力を、1ミリ分だけでも、しるすことがきればよい」

ちょっと驚くほど新鮮。なんと1952年の論文!
冒頭の脚注、読んだ瞬間にフリッパーズギターじゃん。

「わかりあえやしないってことだけを、わかりあうのさ」
(Camera Talk「全ての言葉はさよなら」)

www.youtube.com

 

幸福の0.01ミリ 変身物語

◼︎ボート対抗戦。ここ数年は一橋時代で8連勝。もっとも今年は5秒ほどしか差がなく、一橋のタイムは昨年から30秒近く遅い。

これからの軽量級、インカレ、全日本選手権に向けて今年はちと不安。

天気がよくてよかった。よい日曜日。

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◼︎端艇部より心配なのがこの日の朝刊28P(特設が2ページあって!)。

全広は2ページ。サガミオリジナルもびっくりの薄さ。いくら連休とはいえ大丈夫かな、大丈夫じゃないな、と思った。

広告局がメディアプロモーション局だかになったらしいけど、名前をかえていきなりこれ。ご祝儀も何もない。いくら、名前を変えたり組織を変えたりするのが好きな会社とはいえ。

幸福の0.01ミリはサガミオリジナルのコピー。薄くなってうれしいのはコンドームくらいか。

 

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◼︎古本屋で変身物語

「私が意図するのは、新しい姿への変身の物語だ。いざ神々よーそのような変化をひきおこしたのもあなた方なのだからー私のこの企てに好意を寄せられて、世界の始まりから現段に至るまで、途絶えることなくこの物語を続けさせてくださいますように」

巻1

 

デジタル時代の読者像、鍋焼きうどんと鯵の干物

鍋焼きうどん好きの配偶者。以前からお店で1000円以上とられることに立腹していたけれど、ついに自作。鍋は下田の瀬戸物屋さんで店頭に安くでていたものを購入。

 

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宿題になっていた家の周りの草取りをしたらヤモリ?がいた。小さいワニ。

 

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鯵の干物。これも下田で買ったもの。国内産のイワシをつかって毎日天日干し。作り置きしないので天気が悪いと買えない。そこらで売ってる干物とは別物のご馳走。これが200円しないで売ってる。

 

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そして本題、筆者のBeckettさんはLSE のPolisにいた人でSuper Mediaの著者。(Amazon USで$0.01!)

SuperMedia: Saving Journalism So It Can Save the World: Charlie Beckett: 9781405179232: Amazon.com: Books

 

評価の高いガーディアンだけど経営的には苦しいという別の記事がしばらく前に出てたな。Econoistなんかのほうが経営的には安定しているらしい。クオリティのあるLeftを一定の読者が読んで支えてくれるという古き良き時代ではない。Leftはどこも大変。

情報の受け手として読者から、colaborationなりcommunicationなりするengagementな関係への変化の必要性。広告モデルから購読モデルへ、それも受け手として購読するのではない、という感じ、か。 

www.theguardian.com

 

 

 

 

Aqua pazza

鯵のAqua pazzaと赤ワイン。タルトはこれでおしまい。

 

干物になったりお寿司になったりイタリア料理になったり、鯵も忙しい。

下田の干物屋のおばあちゃんは、輸入の鯵は頭がでかいといっていた。本当かな。

 

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